映像の静止画像 デイリードローイングに含まれていないシーンとセリフ (英語も全部ありますがとりあえず日本語だけ) 時系列をなるべくデイリードローイングと合わせて並べてみます。 1.博士たちのシーン 彼らの時は短い 殺人の革新は 彼らに「文明」と呼ばれています それは 可能な限り多くの犠牲者を 合理的に処分することを目的としています まだ多くの遺体が埋まっています ここは 1945年に三途の川から分岐した支流 絶え間なく流れていた水は凍り 氷の世界へと変わった この目はそれを見てきた 彼らがそのために作ったのです 2. 物理学者の不安のシーン #1 心配事 「放射線」という用語を思いついた研究者は 骨折 頭痛 耳鳴り 胆石 結核 白内障を患っていました 彼女は最後にはほとんど盲目でした 彼女は 放射線被曝による 地震の健康被害を認めませんでした この分野の創設者は全員癌で亡くなりました 3. プルトニウムについて #2 殺人の効率 あなたがここで見るもの ここですること ここで聞くこと ここを離れるとき それをここにおいていけ(マンハッタンプロジェクト関連施設の看板に書かれた有名な標語) 使用済み核燃料棒から プルトニウムを抽出するのは 多額の費用がかかり とても汚染度が高い仕事です 最終製品1キログラムあたり 数百 数千ガロンの放射性廃棄物が発生します プルトニウムを備蓄する唯一の理由は 現在または将来 核兵器を製造したい場合にだけ存在します 4. 軍国少年のシーン 彼らが世界初の原子爆弾を投下する2週間前に ある中学校は 川の街から国の東20キロの農村地域に移動した 生徒たちは そこで食糧生産を増やすための農村動員として働いた それにより 彼らは原爆による全滅を避けることができた 戦時中 最も重要なのは食べ物だ 田んぼの泥の中で裸足 彼らはみんな都会で育ったので辛かった 5. 無差別攻撃に関するシーン 彼らは全てを焼き尽くす無差別攻撃に 変更したのです そもそも無差別攻撃はキタイ帝国によって 始められたのだとも考えました 彼らはまた 無差別攻撃はもともとキタイ帝国によって行われたと考えていた 多くの犠牲者をより短時間で処分する という彼らの目的は成功しました 6. エノラゲイは無差別でもさらにノルデン爆撃照準器を使うことを重要視した 同じ頃 第509イナゴ部隊は マンハッタン・プロジェクトのために動いていました 爆撃手はノルデン爆撃照準器を 練習し続けていました 爆撃場で9000メートル上空から 模擬爆弾を直径90メートルの円の中に 落とす訓練をしていました 彼は失敗し続けていました 司令官が同乗し 原因を探りました 原因は 攻撃の瞬間に 爆撃手の腰が わずかに浮き 頭が動いてたためでした ノルデン爆撃照準器に枕を固定し 彼の命中率は完璧になりました 準備完了です 7. 運命の8月6日 先生は より一生懸命働いた5名は一時帰省を許すと言った 列車の切符を手に入れるのは困難だったので 彼らは川の都の司令部への伝令係として任命された 帰省日は 8月6日と決まった 8. トリニティテストでの放射性下降物への不安 (爆発シーン) 彼らは核兵器の威力と使用後の 安全性を宣伝するために 震源で写真を撮りました 靴に白い保護カバーを付けながら これは科学技術兵器の革命だ (ソ連スパイのシーン) 9. 残兵の最後 彼は 自分たちが作った滑走路から 100機200機のB-29が飛んでいく度に 苛立ちました ある日兵士たちが新しい高いフェンスを 作っているのを見つけました 長さ800メートル 幅400メートルの 高い壁で区切られていました 「司令本部 第509イナゴ部隊」 彼は報告したくて たまりませんでした しかし 通信機器はずっと前に すでに壊れていました キタイ帝国の200以上の都市がすでに 焼け野原になっていることを この上等兵曹は知りませんでした 10. 真夜中の攻撃 #3世界平和の維持 彼らは通常 真夜中に来て 爆弾を投下し 都市と人々を燃やします 時折 奇妙なことに 昼間の空高く B29が1機だけ 飛んでいきました 爆弾投下!! (爆発シーン) 11. ラジオの声 こちら川の都 こちら川の都 川の都 全滅であります!! お国の台所 お国の台所 聞こえたら応答願います! 太陽の地 太陽の地 聞こえたら応答願います! 12. 憲兵は何を見張ってたのか 外から都に入る唯一の道である 東大橋に憲兵が立っていました 彼は本部への公式文書を 持っていたので通ることができました それから彼は地獄を歩き続け 残留放射線にさらされました 13. トルーマン大統領スピーチ それは原子爆弾である(画像) それは宇宙の根源的な力を利用している 太陽の力の源となる力が 極東に戦争を もたらした者たちに向かって 解き放たれた 我々は歴史上最大の科学的ギャンブルに 20億ドルを費やし 勝利した 科学と産業の両方がグラスホッパー軍の 指揮の下で働き それは驚くほど短時間で 知識の進歩における非常に多様な問題を 管理し素晴らしい成功を収めた キタイ帝国の市民を完全な破壊から救うために 7月26日 オークの下の街で最後通告をした 彼らの指導者たちは即座に拒絶した 私は 原子力が世界平和の維持に向けて いかに強力で説得力のある影響力となるか さらに検討し 議会にさらなる 勧告を行うであろう 14. ソ連の宣戦布告 彼は多くの死体の上を歩いていることに 気づきました 伝令です!! 農村動員隊 ただいま到着いたしました! 翌日 彼は熱を出しました 人々が コオリ連合が キタイ帝国に宣戦布告したと 話しているのが聞こえました 15. 放射能 原子爆弾のもう一つの恐ろしいことは 爆発後も人々を殺し続けることです 放射能には3つのタイプがあります アルファ線 ベータ線 およびガンマ線 アルファとベータは粒子です ガンマは電磁波です 爆発の瞬間 人々は強いガンマ線にさらされ それが外から全身に貫通し 全体的な損傷を引き起こします ただし ガンマ線は1分以内に消えます アルファとベータ粒子は キノコ雲によって吹き飛ばされ 空中に漂い続けます それらの粒子は黒い雨として人々に降り注ぎました それらが体内に入ると 体内にとどまり 細胞を攻撃し続けます それは長期間にわたって病気や癌を引き起こします このタイプの放射線の問題は 一つの粒子を飲み込んだかどうかです それは外部被曝線量についてではないのです 16. 急性放射線症状 被爆者は今なお苦しみ 亡くなり続けており その苦しみと死は何世代にもわたって受け継がれています 脱毛は 初めに現れる死の兆候で 最も独特の共通した症状でした 皮膚に紫色のシミができ 血が出て 血便が出ました 歯茎からの出血 食欲不振 倦怠感 発熱も急性放射線症状でした 高熱は 白血球の数の急速な変化に直接関連していました 細菌の侵入に対する最も重要な防御は白血球です 17. 残留放射線の隠蔽 約1週間後 原子爆弾を開発した科学者たちが 川の都と平和都市に入りました 続いて キタイ帝国の科学者 医師 陸軍 アメ国家の海軍 および戦略爆撃調査チームが研究に参加しました 科学者たちは たくさんの放射性粒子が 空中に漂っていることを知っていました 彼らは 平和都市の爆心地からかなり離れた場所で 高線量の残留放射線を測定しました 生理学者は自分の研究チームが行ったことをとても誇りに思っていました しかし マンハッタン計画の最高経営責任者は彼に言いました 貴様はそれをトップ・シークレットにすべきだった これと関連する書類とデータを全て廃棄しろ それから この報告書に書いたことを忘れるよう命じる もし彼らが残留放射線の存在を提示したら 占領のための彼ら自身の軍隊を駐留させることはできなかったでしょう また 彼らが莫大な金額を賭けて開発した世界最強の武器は 国際的に禁止されていたでしょう 20億ドルという莫大な開発資金の兵器の放棄はあり得ませんでした 18. 寿命調査の補足 彼らのリスク計算は外部被ばく線量によるものです 彼らは意識的に内部化された放射線の考慮を除外しました つまり吸入された粒子の考慮を除外したのです 寿命調査のデータは国際的に高く評価されており 放射線被爆の健康影響の研究の基準となりました 19. 水爆実験 アメノ国の次期大統領は核兵器への依存度を高める戦略を提唱し 1953年に核兵器の海外配備が始まりました この時 核兵器はキタイ帝国にも初めて持ち込まれました それは密約による合意でした 1954年 アメノ国はマジョール諸島で 最初の核融合の核実験を実施しました コードネーム「キャッスルブラボー」 核融合爆弾は キタイ帝国の2つの都市に 投下された核分裂爆弾よりも数百倍強力です 核融合爆弾は全てテストとして爆発したので 誰も強いガンマ線で死ぬことはありませんでした しかし 巨大なキノコ雲は12,900平方km以上に渡って広がり粒子を撒き散らしました マジョール諸島の住民たちとアメノ国の兵士たちが粒子を吸い込みました 160km先では 100隻のキタイ帝国のマグロ漁船が 死の灰を浴びました 6か月後 無線技師が亡くなりました アメノ国は 全ての核融合の兵器実験を自国では行わず マジョール諸島で行いました そのため マジョール諸島の人々は アメノ国に住むという選択肢を得ました 一部の人々はエバーグリーン州のライラック市に移住しました 20. クレイジーボール #5粒子時代 将来活動家になるこの少女は 父親が工場の現場で働いている間 姉と兄弟と「クレイジーボール」で遊んでいました 「クレイジーボール」とは 予想外の方向に跳ね返る 形の悪いソフトボールサイズのゴムと鋼のボールで 鉱石を粉砕するためのものであり 放射性物質でした 彼女は70年代にウラン処理工場で働き始めました ある日 彼女は仕事の後 バーに寄りました イエローケーキまみれの仲間の労働者が ブラックライトの中で光っていました 3か月の間に 10人の部族メンバーが癌で亡くなったことがありました 21. タートルレイクの伝説 ある日 男がタートル湖に歩いて行った 彼が岸に座っていると巨大な亀が彼に向かって歩いてきた 「おお この亀 家に持って帰ろう」 彼は亀を杭につないだ 大津波が押し寄せ 巨大な黒い馬が鼻を鳴らし 蹴りあげ 水を泡立てた! 彼は走って走って 振り返った 巨大な波は消え 馬もいなくなっていた! 彼はつないだ亀がいる岸へ戻って行った おやまあ 亀も消えていた! Deb追悼 22. ハンフォード的世界 もしも映画的に言うならば 彼らの仕事は地球上のすべての人類とほとんどの生命を 一瞬で消滅させることができる 世界で最悪な武器を生み出したことでした 彼らが造ったのは武器だけではありませんでした それは多くの病気の労働者たち 農民たち 野生動物たちを生み出しました それから 除染事業からお金を盗む人がたくさんいます 彼らの世界では 病も死も消えて無くなりました そこは連邦政府から大量の助成金をもらった大学が 放射能の身体への影響を研究するために 妊婦 新生児 障害を持つ子供たち そして受刑者に 人体実験を行う世界です 23. 地政学 ここは平和に見えます しかし 3つの活火山があります スモーキングマウンテンはちょうど40年前に噴火しました それは大きなものでした そして次はさらにひどいかもしれません そこにはアメノ国で2番目に強力なグレート川があります 上流にはダムがあります 地震が発生しやすい地域でもあります これは十分恐ろしいことですが 長期的に見ると 1万年前は氷河の氷が融解していて この地域全体が 水深60メートルでした 地質学は この場所が巨大な湖になることを示しています 24. 地球原子力機関の仕事 地球原子力機関(GAEA)は 放射線被曝の線量限度のスタンダードを作成するために 寿命調査のデータを使用しており多くの国がそれに従っています 寿命調査データは 原子力発電会社や原子力製造会社 核実験により人々を放射能にさらし 土地を汚染した国にとって 非常に便利です それは補償を受ける人々の数を減らすのに役立ちます このような場所では体の内部に入った粒子が問題ですが 寿命調査は 外部被曝量と健康被害との関係を追った研究だからです 活動家たちは地域社会で健康調査を行い 戦ってきたので 地球原子力機関は原子力技術の安全性と利益を 宣伝するのに非常に忙しいのです 安全の記録は 長期にわたって人為的に作成されてきました 事故や被害の問題に世間の注目を集めようとする内部告発者は 監視され 脅迫されています 1996年 地球原子力機関は「避難や移住をしない」という方針を発表しました なぜなら「住民はリスクを冒す準備ができており 汚染地域に住み続けたい」からです 2011年 地球原子力機関はキタイ王国の赤ベコの地とそこの医科大学と協定を結びました その復興は 彼らの指導の下で進行中です 25. ハンフォードワーカーの実態 約9000人がそこで働いています おそらく3500から4000は 放射能汚染のすぐ近で働いています 彼は何か日常と違うことをしていると呼吸するのを忘れてしまいます 彼の妻は「息をして!」と叫ばなければなりません 彼は物語を覚えられないので もう本を読むことができません 彼はまっすぐ歩くこともできません 26. 風下の人の実態1 彼の母親の最初の赤ちゃんは死産でした その赤ちゃんは奇形でした 彼は2番目の子供でした 彼は肺が発達していないために呼吸に問題がありました 複数の手術 麻痺を耐え 甲状腺薬物治療を耐え 鉄の肺と呼ばれる呼吸補助装置の期間 脱毛 全身の痛み 発熱 めまい 難聴 喘息 歯の腐敗 そして 18歳で不妊症の診断 27. グリーンランの時の詳細 ぶ厚い眼鏡のあごひげ男たちが農場にやって来ました 彼らが狩ったアヒルとガチョウの足や頭を欲しがりました 牛のミルクと井戸の水を欲しがりました 時折 宇宙飛行士のようなスーツを着て来ました 彼らは言いました 「私たちは政府の者で あなたがたを守るためにここにいます」 政府の人々は頻繁に彼の学校に来て 子供たちにミルクセーキのようなものを飲ませました しかし それは甘くありませんでした 白い液体を飲んだ後 ホールボディカウンターで検査されました 1963年に牧草地で生まれた100頭の子牛のうち 60頭がひどい奇形でした 歩くことができず 足がないのや 足が多すぎるのもいました 夜 コヨーテが農場にやって来て 追いかけて殺し食べました 農夫たちは その群れをトラックに乗せ 子牛肉として切り刻みました 1984年 彼らは近所の27世帯すべての家族が さまざまな癌 先天性欠損症 甲状腺の問題などに 苦しんでいることを発見しました 28. 僕の名は エノラ・ゲイ 僕は軍産複合体時代 初期に生まれました 彼らはピーク時には70,000発の核弾頭を作りました 現在は13,150発まで減りました しかし 稼働中のすべての原子力発電所のプルトニウムの在庫が 軍事的に使用可能です 国家が 原子力発電所と再処理施設を維持する理由は 将来 兵器を作るためにプルトニウムを備蓄する為以外にありません 彼らの大量の放射性廃棄物は 彼らが絶滅した後でさえも残るのです 数千年後 誰かがそれを掘り起こし 兵器化するでしょう 29. エンディング さあ 彼らが‘到着しました 第一回 三途の川 支流会議が始まります デイリードローイングに含まれていないシーンとセリフ (英語も全部ありますがとりあえず日本語だけ) 1.博士たちのシーン 彼らの時は短い 殺人の革新は 彼らに「文明」と呼ばれています それは 可能な限り多くの犠牲者を 合理的に処分することを目的としています まだ多くの遺体が埋まっています ここは 1945年に三途の川から分岐した支流 絶え間なく流れていた水は凍り 氷の世界へと変わった この目はそれを見てきた 彼らがそのために作ったのです 2. 物理学者の不安のシーン #1 心配事 「放射線」という用語を思いついた研究者は 骨折 頭痛 耳鳴り 胆石 結核 白内障を患っていました 彼女は最後にはほとんど盲目でした 彼女は 放射線被曝による 地震の健康被害を認めませんでした この分野の創設者は全員癌で亡くなりました 3. プルトニウムについて #2 殺人の効率 あなたがここで見るもの ここですること ここで聞くこと ここを離れるとき それをここにおいていけ(マンハッタンプロジェクト関連施設の看板に書かれた有名な標語) 使用済み核燃料棒から プルトニウムを抽出するのは 多額の費用がかかり とても汚染度が高い仕事です 最終製品1キログラムあたり 数百 数千ガロンの放射性廃棄物が発生します プルトニウムを備蓄する唯一の理由は 現在または将来 核兵器を製造したい場合にだけ存在します 4. 軍国少年のシーン 彼らが世界初の原子爆弾を投下する2週間前に ある中学校は 川の街から国の東20キロの農村地域に移動した 生徒たちは そこで食糧生産を増やすための農村動員として働いた それにより 彼らは原爆による全滅を避けることができた 戦時中 最も重要なのは食べ物だ 田んぼの泥の中で裸足 彼らはみんな都会で育ったので辛かった 5. 無差別攻撃に関するシーン 彼らは全てを焼き尽くす無差別攻撃に 変更したのです そもそも無差別攻撃はキタイ帝国によって 始められたのだとも考えました 彼らはまた 無差別攻撃はもともとキタイ帝国によって行われたと考えていた 多くの犠牲者をより短時間で処分する という彼らの目的は成功しました 6. エノラゲイは無差別でもさらにノルデン爆撃照準器を使うことを重要視した 同じ頃 第509イナゴ部隊は マンハッタン・プロジェクトのために動いていました 爆撃手はノルデン爆撃照準器を 練習し続けていました 爆撃場で9000メートル上空から 模擬爆弾を直径90メートルの円の中に 落とす訓練をしていました 彼は失敗し続けていました 司令官が同乗し 原因を探りました 原因は 攻撃の瞬間に 爆撃手の腰が わずかに浮き 頭が動いてたためでした ノルデン爆撃照準器に枕を固定し 彼の命中率は完璧になりました 準備完了です 7. 運命の8月6日 先生は より一生懸命働いた5名は一時帰省を許すと言った 列車の切符を手に入れるのは困難だったので 彼らは川の都の司令部への伝令係として任命された 帰省日は 8月6日と決まった 8. トリニティテストでの放射性下降物への不安 (爆発シーン) 彼らは核兵器の威力と使用後の 安全性を宣伝するために 震源で写真を撮りました 靴に白い保護カバーを付けながら これは科学技術兵器の革命だ (ソ連スパイのシーン) 9. 残兵の最後 彼は 自分たちが作った滑走路から 100機200機のB-29が飛んでいく度に 苛立ちました ある日兵士たちが新しい高いフェンスを 作っているのを見つけました 長さ800メートル 幅400メートルの 高い壁で区切られていました 「司令本部 第509イナゴ部隊」 彼は報告したくて たまりませんでした しかし 通信機器はずっと前に すでに壊れていました キタイ帝国の200以上の都市がすでに 焼け野原になっていることを この上等兵曹は知りませんでした 10. 真夜中の攻撃 #3世界平和の維持 彼らは通常 真夜中に来て 爆弾を投下し 都市と人々を燃やします 時折 奇妙なことに 昼間の空高く B29が1機だけ 飛んでいきました 爆弾投下!! (爆発シーン) 11. ラジオの声 こちら川の都 こちら川の都 川の都 全滅であります!! お国の台所 お国の台所 聞こえたら応答願います! 太陽の地 太陽の地 聞こえたら応答願います! 12. 憲兵は何を見張ってたのか 外から都に入る唯一の道である 東大橋に憲兵が立っていました 彼は本部への公式文書を 持っていたので通ることができました それから彼は地獄を歩き続け 残留放射線にさらされました 13. トルーマン大統領スピーチ それは原子爆弾である(画像) それは宇宙の根源的な力を利用している 太陽の力の源となる力が 極東に戦争を もたらした者たちに向かって 解き放たれた 我々は歴史上最大の科学的ギャンブルに 20億ドルを費やし 勝利した 科学と産業の両方がグラスホッパー軍の 指揮の下で働き それは驚くほど短時間で 知識の進歩における非常に多様な問題を 管理し素晴らしい成功を収めた キタイ帝国の市民を完全な破壊から救うために 7月26日 オークの下の街で最後通告をした 彼らの指導者たちは即座に拒絶した 私は 原子力が世界平和の維持に向けて いかに強力で説得力のある影響力となるか さらに検討し 議会にさらなる 勧告を行うであろう 14. ソ連の宣戦布告 彼は多くの死体の上を歩いていることに 気づきました 伝令です!! 農村動員隊 ただいま到着いたしました! 翌日 彼は熱を出しました 人々が コオリ連合が キタイ帝国に宣戦布告したと 話しているのが聞こえました 15. 放射能 原子爆弾のもう一つの恐ろしいことは 爆発後も人々を殺し続けることです 放射能には3つのタイプがあります アルファ線 ベータ線 およびガンマ線 アルファとベータは粒子です ガンマは電磁波です 爆発の瞬間 人々は強いガンマ線にさらされ それが外から全身に貫通し 全体的な損傷を引き起こします ただし ガンマ線は1分以内に消えます アルファとベータ粒子は キノコ雲によって吹き飛ばされ 空中に漂い続けます それらの粒子は黒い雨として人々に降り注ぎました それらが体内に入ると 体内にとどまり 細胞を攻撃し続けます それは長期間にわたって病気や癌を引き起こします このタイプの放射線の問題は 一つの粒子を飲み込んだかどうかです それは外部被曝線量についてではないのです 16. 急性放射線症状 被爆者は今なお苦しみ 亡くなり続けており その苦しみと死は何世代にもわたって受け継がれています 脱毛は 初めに現れる死の兆候で 最も独特の共通した症状でした 皮膚に紫色のシミができ 血が出て 血便が出ました 歯茎からの出血 食欲不振 倦怠感 発熱も急性放射線症状でした 高熱は 白血球の数の急速な変化に直接関連していました 細菌の侵入に対する最も重要な防御は白血球です 17. 残留放射線の隠蔽 約1週間後 原子爆弾を開発した科学者たちが 川の都と平和都市に入りました 続いて キタイ帝国の科学者 医師 陸軍 アメ国家の海軍 および戦略爆撃調査チームが研究に参加しました 科学者たちは たくさんの放射性粒子が 空中に漂っていることを知っていました 彼らは 平和都市の爆心地からかなり離れた場所で 高線量の残留放射線を測定しました 生理学者は自分の研究チームが行ったことをとても誇りに思っていました しかし マンハッタン計画の最高経営責任者は彼に言いました 貴様はそれをトップ・シークレットにすべきだった これと関連する書類とデータを全て廃棄しろ それから この報告書に書いたことを忘れるよう命じる もし彼らが残留放射線の存在を提示したら 占領のための彼ら自身の軍隊を駐留させることはできなかったでしょう また 彼らが莫大な金額を賭けて開発した世界最強の武器は 国際的に禁止されていたでしょう 20億ドルという莫大な開発資金の兵器の放棄はあり得ませんでした 18. 寿命調査の補足 彼らのリスク計算は外部被ばく線量によるものです 彼らは意識的に内部化された放射線の考慮を除外しました つまり吸入された粒子の考慮を除外したのです 寿命調査のデータは国際的に高く評価されており 放射線被爆の健康影響の研究の基準となりました 19. 水爆実験 アメノ国の次期大統領は核兵器への依存度を高める戦略を提唱し 1953年に核兵器の海外配備が始まりました この時 核兵器はキタイ帝国にも初めて持ち込まれました それは密約による合意でした 1954年 アメノ国はマジョール諸島で 最初の核融合の核実験を実施しました コードネーム「キャッスルブラボー」 核融合爆弾は キタイ帝国の2つの都市に 投下された核分裂爆弾よりも数百倍強力です 核融合爆弾は全てテストとして爆発したので 誰も強いガンマ線で死ぬことはありませんでした しかし 巨大なキノコ雲は12,900平方km以上に渡って広がり粒子を撒き散らしました マジョール諸島の住民たちとアメノ国の兵士たちが粒子を吸い込みました 160km先では 100隻のキタイ帝国のマグロ漁船が 死の灰を浴びました 6か月後 無線技師が亡くなりました アメノ国は 全ての核融合の兵器実験を自国では行わず マジョール諸島で行いました そのため マジョール諸島の人々は アメノ国に住むという選択肢を得ました 一部の人々はエバーグリーン州のライラック市に移住しました 20. クレイジーボール #5粒子時代 将来活動家になるこの少女は 父親が工場の現場で働いている間 姉と兄弟と「クレイジーボール」で遊んでいました 「クレイジーボール」とは 予想外の方向に跳ね返る 形の悪いソフトボールサイズのゴムと鋼のボールで 鉱石を粉砕するためのものであり 放射性物質でした 彼女は70年代にウラン処理工場で働き始めました ある日 彼女は仕事の後 バーに寄りました イエローケーキまみれの仲間の労働者が ブラックライトの中で光っていました 3か月の間に 10人の部族メンバーが癌で亡くなったことがありました 21. タートルレイクの伝説 ある日 男がタートル湖に歩いて行った 彼が岸に座っていると巨大な亀が彼に向かって歩いてきた 「おお この亀 家に持って帰ろう」 彼は亀を杭につないだ 大津波が押し寄せ 巨大な黒い馬が鼻を鳴らし 蹴りあげ 水を泡立てた! 彼は走って走って 振り返った 巨大な波は消え 馬もいなくなっていた! 彼はつないだ亀がいる岸へ戻って行った おやまあ 亀も消えていた! Deb追悼 22. ハンフォード的世界 もしも映画的に言うならば 彼らの仕事は地球上のすべての人類とほとんどの生命を 一瞬で消滅させることができる 世界で最悪な武器を生み出したことでした 彼らが造ったのは武器だけではありませんでした それは多くの病気の労働者たち 農民たち 野生動物たちを生み出しました それから 除染事業からお金を盗む人がたくさんいます 彼らの世界では 病も死も消えて無くなりました そこは連邦政府から大量の助成金をもらった大学が 放射能の身体への影響を研究するために 妊婦 新生児 障害を持つ子供たち そして受刑者に 人体実験を行う世界です 23. 地政学 ここは平和に見えます しかし 3つの活火山があります スモーキングマウンテンはちょうど40年前に噴火しました それは大きなものでした そして次はさらにひどいかもしれません そこにはアメノ国で2番目に強力なグレート川があります 上流にはダムがあります 地震が発生しやすい地域でもあります これは十分恐ろしいことですが 長期的に見ると 1万年前は氷河の氷が融解していて この地域全体が 水深60メートルでした 地質学は この場所が巨大な湖になることを示しています 24. 地球原子力機関の仕事 地球原子力機関(GAEA)は 放射線被曝の線量限度のスタンダードを作成するために 寿命調査のデータを使用しており多くの国がそれに従っています 寿命調査データは 原子力発電会社や原子力製造会社 核実験により人々を放射能にさらし 土地を汚染した国にとって 非常に便利です それは補償を受ける人々の数を減らすのに役立ちます このような場所では体の内部に入った粒子が問題ですが 寿命調査は 外部被曝量と健康被害との関係を追った研究だからです 活動家たちは地域社会で健康調査を行い 戦ってきたので 地球原子力機関は原子力技術の安全性と利益を 宣伝するのに非常に忙しいのです 安全の記録は 長期にわたって人為的に作成されてきました 事故や被害の問題に世間の注目を集めようとする内部告発者は 監視され 脅迫されています 1996年 地球原子力機関は「避難や移住をしない」という方針を発表しました なぜなら「住民はリスクを冒す準備ができており 汚染地域に住み続けたい」からです 2011年 地球原子力機関はキタイ王国の赤ベコの地とそこの医科大学と協定を結びました その復興は 彼らの指導の下で進行中です 25. ハンフォードワーカーの実態 約9000人がそこで働いています おそらく3500から4000は 放射能汚染のすぐ近で働いています 彼は何か日常と違うことをしていると呼吸するのを忘れてしまいます 彼の妻は「息をして!」と叫ばなければなりません 彼は物語を覚えられないので もう本を読むことができません 彼はまっすぐ歩くこともできません 26. 風下の人の実態1 彼の母親の最初の赤ちゃんは死産でした その赤ちゃんは奇形でした 彼は2番目の子供でした 彼は肺が発達していないために呼吸に問題がありました 複数の手術 麻痺を耐え 甲状腺薬物治療を耐え 鉄の肺と呼ばれる呼吸補助装置の期間 脱毛 全身の痛み 発熱 めまい 難聴 喘息 歯の腐敗 そして 18歳で不妊症の診断 27. グリーンランの時の詳細 ぶ厚い眼鏡のあごひげ男たちが農場にやって来ました 彼らが狩ったアヒルとガチョウの足や頭を欲しがりました 牛のミルクと井戸の水を欲しがりました 時折 宇宙飛行士のようなスーツを着て来ました 彼らは言いました 「私たちは政府の者で あなたがたを守るためにここにいます」 政府の人々は頻繁に彼の学校に来て 子供たちにミルクセーキのようなものを飲ませました しかし それは甘くありませんでした 白い液体を飲んだ後 ホールボディカウンターで検査されました 1963年に牧草地で生まれた100頭の子牛のうち 60頭がひどい奇形でした 歩くことができず 足がないのや 足が多すぎるのもいました 夜 コヨーテが農場にやって来て 追いかけて殺し食べました 農夫たちは その群れをトラックに乗せ 子牛肉として切り刻みました 1984年 彼らは近所の27世帯すべての家族が さまざまな癌 先天性欠損症 甲状腺の問題などに 苦しんでいることを発見しました 28. 僕の名は エノラ・ゲイ 僕は軍産複合体時代 初期に生まれました 彼らはピーク時には70,000発の核弾頭を作りました 現在は13,150発まで減りました しかし 稼働中のすべての原子力発電所のプルトニウムの在庫が 軍事的に使用可能です 国家が 原子力発電所と再処理施設を維持する理由は 将来 兵器を作るためにプルトニウムを備蓄する為以外にありません 彼らの大量の放射性廃棄物は 彼らが絶滅した後でさえも残るのです 数千年後 誰かがそれを掘り起こし 兵器化するでしょう 29. エンディング さあ 彼らが‘到着しました 第一回 三途の川 支流会議が始まります |
くものいとSpider’s Thread / エノラズヘッドENOLA’S HEAD – Daily Drawingシリーズ 日米両国の資料のリサーチと、日米の被爆者や核の専門家へのインタビューから、現代の日米の視点で核兵器の歴史を語るためのポイントを47にまとめ、2020年6月24日から8月9日まで、合計47枚のドローイングを1日1枚ソーシャルメディアで発表した。今回はこのシリーズから19枚を展示。47枚でドローイングを完結させた後も、ドローイングとされていない史実やアイデアが作家の中で発展し続け、蔦谷はそれらを総合的に結びつけながら映像インスタレーション「ENOLA’S HEAD」を完成させた。例としては、ソ連の戦争参入、核の傘と密約(空母オリスカニ)、アトミックソルジャー(40,000 人以上の兵士たちが核兵器テストで被曝した) とマーシャル諸島共和国の水爆実験の被爆者たち、核の冬(気温低下)、日本におけるプルトニウム保持の意味、原発と核兵器の関係の明確化、もれ続け、増え続ける核廃棄物とその保存の不可能性、など。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 1 : Burning/灼熱 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) デイリー・ドローイングシリーズ最初の一枚は原子爆弾の特徴である熱線の恐怖についての作家の考察である。原爆投下時、爆発点の温度は摂氏100万度を超えた。空中の火球は約10秒輝き、強烈な熱線を四方に放出し、爆心地周辺の地表面温度は摂氏3,000から4,000度にも達したという。作家は、「火傷で顔がボールのように腫れて誰が誰だかわからなかった」という証言や記録写真、記憶から描いた絵などを参照にし、燃える髪の毛の部分に逃げ惑う人々の形を描き、被爆者の姿を燃え盛る地球のようにも表現した。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 2 : Darkness/暗黒 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 原爆の恐怖の第2要素、強力な衝撃波によって起きた爆風について。爆心地から約2キロメートルの家屋は倒壊し、鉄筋コンクリートの建物は残ったが、窓の近くにいた人々の体には無数のガラス破片が突き刺さった。人々は吹き飛ばされ負傷し、建物の下敷きになった。爆発直後、煙で真っ暗闇だったという証言も合わせて、重い身体と見えにくい視界で逃げ惑う状態を想像して描いた。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 3 : Bad Smell/異臭 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 異臭がたちこめていた証言がたくさんある。多くの人が火災による炎や暑さから逃れるために川に飛び込み、川は水膨れた死体でいっぱいであった。匂いは記録できないし、川の様子も記録写真には残っていない。生き残った市民によって描かれた原爆の絵には残っているのでそれを参考にした。その異臭はどんなであったろうか。体から発せられる黒煙のような、魂のような、塗りつぶされたセリフのようなイメージで描いてみた。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 4 : Autopsy/検死解剖 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 広島逓信病院(広島市中区)そばの板小屋で被爆した遺体を解剖し、原爆放射線の影響をいち早く調べたという広島医専教授の玉川忠太氏の記録写真(日本映画社の原爆記録映画撮影班に同行した写真家菊池俊吉氏が1945年10月11日に撮影)を元に描かれた作品。作家は、原爆で人間を含め全ての動物が死んでいく中で大量に発生した生き物がハエであることにヒントを得て、医者をハエに置き換えた。ハエは、不快な害虫のようなイメージが一般的だが、腐敗した死体の分解者としての役割を持っており命のサイクルに欠かせない存在である。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 5 : The EYE / 目 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) Day4で登場した死体を解剖しているハエ男を見つめる目。この目は何者なのか、戦後日本を監視し支配したG H Q(連合国軍最高司令部)の目なのか、核産業につきものの監視の目なのか、死を司るものの目なのか、あるいは観る人そのものの目なのか、見るという行為について考えながら描いた。蔦谷は、目がないキャラクターを渡米した直後の2007年に自分自身を描く方法として思いつき、その後全ての作品に起用してきた。このシリーズでは、私たち人間のものとかけ離れているものを持った虫のキャラクターだけ目をつけるという新しい試みをしており、また、この作品のように「目」を強調し、見ることについて改めて言及している。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 6 : The Secret Gate/ 機密ゲート 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 1942年、最高機密のもと始まった任務「マンハッタンプロジェクト」の最初の入口。ここに描かれたニューメキシコ州サンタ・フェの109 East Palaceは、世界中・米国中の科学者やエンジニア、夫人陸軍部隊、憲兵隊らがマンハッタン計画の中心拠点ロスアラモスに送り込まれるための機密ゲートであった。このゲートで関係者は「ロスアラモスへの門番」と愛された女性ドロシー・スカリット・マッキビンに出迎えられ、当時最高機密のため地図上に住所が存在しなかったロスアラモスに送り出された。このゲートは今も同じ場所にプレートが置かれて観光地化されている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 7 : Assembled Physicists / 集められた物理学者たち 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) マンハッタンプロジェクトでは、数百人の科学者がニューメキシコ州ロスアラモスの研究所に集められた。 ナチスドイツの迫害から逃れたユダヤ系の科学者たちの多くがこのプロジェクトに参加し、ドイツとの核兵器開発競争の中で急がれる研究に貢献した。彼らはナチスの恐怖から原子爆弾を誰よりも早く完成させることに命をかけていた。プロジェクトで注目すべき役割を果たした物理学者たちが映っている写真を参照。右手前からNorris Bradbury, John Manley, Enrico Fermi、奥にRobert Oppenheimer, Richard Feynmanなど。この写真は、戦後1946年8月にロスアラモスで開かれた水素爆弾の実現可能性の研究のために集まったレクチャーで撮影されたものである。物理学者たちは核技術開発の中心的存在なので、彼らに群がる多くの虫のキャラクター達(軍人、政治家、医者など)に対して植物のキャラクターであり、顔に萼のようなものがついている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 8 : Physicist and Officer / 物理学者と将校 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) マンハッタン計画の責任者であったアメリカ陸軍将校のレスリー・グローヴスと、物理学者側のリーダーであるロバート・オッペンハイマーのツーショット。このコンビが原子爆弾開発を成功に導いたとも言われており、世界初の核爆発実験トリニティ実験が成功した直後爆心地でこの二人が並んでいる写真は、世界的に有名である。ニューメキシコ州のブラッドベリ科学博物館でもこの二人のポートレイトは実物大に引き伸ばされ展示されており、二人の銅像もロスアラモスに建立され、現存する。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 9 : A Draft of Fat Man/ ファットマンの設計図 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) ファットマンの設計図が、ニューメキシコ州アルバカーキにある国立原子力博物館のミュージアムショップでポスターとして販売されていることに衝撃を受けて描いた。それを忠実に写して描いたものに、それを描いている物理学者の手と、大日本帝国時代の軍国少年(広島の入市被爆者の新井俊一郎さんがモデル)が、一寸法師のように小さなスピリットとして見つめている姿を足した。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 10 : Intruder / 乱入者 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 1943年、ワシントン州のワナパム族の土地にアメリカ陸軍がやってきて、その地を去るようにというアメリカ政府からの通達を出した。コロンビア川沿いのこの土地でワナパム族は先祖代々魚や植物を採取、また狩猟によって生活を営んでいたが、アメリカ政府は、プルトニウム工場を作ることを目的にワナパム族やそこに住む農民達を突然追い出した。最終的には冷戦時も合わせて、この土地で、核兵器のための49トンのプルトニウムが製造され、米国保有の60,000の核兵器のほとんどがここで作られた。ワナパム族は、戦争が終わったら土地は返却されると説明されていたが、ここには現在でも大量の核廃棄物が地下のタンクに保存されており、スーパーファンド・サイト(有害物質除去基金の対象場所)指定の汚染地域として、除染作業が続いている状態だ。北米で最も汚染されている場所であり、彼らの手にこの土地が戻ってくることはないだろう。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 11 : 230 Million Dollar Village / 230,000,000ドルの村 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 個人蔵 1943年に建てられた世界初のプルトニウム生産複合施設であるワシントン州ハンフォード・サイトの都市づくりの様子。陸軍省のもと、原子炉と処理施設が建設された。原子力施設だけでなく、美しい住宅、学校、娯楽プログラムを建設し、労働者の確保に政府は尽力した。原子力ムラの原型としても知られる。クモの上に置かれているのは、蔦谷がWanapum Heritage Centerに展示されていたWanapum族の伝統的住居である。都市づくりの一環として当時建てられた政府が所有する住民達のABCハウスは現在も街に立ち並んでおり、それらも蔦谷は現物を見てくることができた。冷戦時代に立てられるドキュメントにも多く登場する核連鎖反応の看板を持ち込んでいる大きな手、奥では街中を盗聴し監視する軍人と全ての鍵を描き入れ、完璧にコントロールされた街づくりの様子を表現している。マンハッタンプロジェクトでは、国中にこのハンフォードサイトを含む37の施設が建設され、13万人を雇用した。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 12 : The Birth of a Monster/ モンスター誕生 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) ワシントン州のハンフォードサイトのB原子炉について。マンハッタンプロジェクトにおいて、プルトニウムを製造するために作られた最初の原子炉で、ここで作られたプルトニウムが長崎に投下されたファットマンにも使われた。蔦谷は2019年のリサーチで、公開されているこのB原子炉を訪れ写真を撮ってきてこの絵を描いた。うさぎ、たぬき、コヨーテ扮する労働者たちが、天井近くに正体不明の生き物が生まれる寸前の大きな卵を見上げている。労働者たちは自分たちが何を作っているか、1945年8月6日トゥルーマン大統領が原子爆弾についてスピーチし、それが新聞に報道されるまで知らなかった。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 13 : Plutonium Trail / プルトニウムの道 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 強い放射線と極度の毒性を持った最悪な物質プルトニウム239の半減期は24,000年。ハンフォードサイトのプルトニウム製造のシーンのビデオ静止画像を参照にした。ネイティブアメリカンの靴からそのシーンが煙のように出ているのは、Wanapum Heritage Centerでの展示で子供から大人までの伝統的な靴が歩いているように並べられた展示に考えさせられてアイデアを得た。永遠とも言える時間存在し続ける放射性物質を、人類は生み出してしまった。この施設は国の高レベル放射性廃棄物の60%と低レベル廃棄物のほとんどを地下タンクに貯蔵しています。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 14 : A Gust/ 突風 (In Marukawa Collection) 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) ハンフォード・サイトは、ワシントン州の東南部に位置し、雨は少なく乾燥地で非常に風の強い人里離れた不快な場所であった。突風が吹き砂埃が舞う様子が当時の風刺漫画でも多く描かれた。マンハッタン計画は、国家の最高機密プロジェクトだったため、地図にも存在しない人の寄り付かないこの場所が選ばれた。その突風が吹く風景を、作者は、施設を囲んだフェンスにある監視タワーの記録写真と葛飾北斎の三十六景「駿州江尻」の紙が舞うイメージ、そして歌川国芳の「源三位頼政の鵺退治」に描かれた不気味な暗雲が渦巻く空を組み合わせて異次元空間が立ち現れる瞬間として描いた。第二次世界大戦から今日に至るまで連邦政府がこのコミュニティに投入した金額は計り知れなく、現在は十分にいい場所である。汚染という問題を除いては。この絵は、Day13のハンフォード・サイトからDay 15のウェンドーバーに物語を移行させる役割も担っている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 15 : Carrier Pigeon / 伝書鳩 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 1942年に建てられたユタ州にあるウェンドーバー陸軍空軍基地に展示されていた伝書鳩のケージに作家が興味を持ち作ったシーン。伝書鳩は、第二次世界大戦時にも、軍の間のコミュニケーションツールとして使われていた。鳩は平和の象徴としての動物であるが、それが軍隊のメッセンジャーとして使われていたという矛盾性に注目し、この物語の登場人物である日本の軍国少年(彼の顔は鳥でもある)と彼の心の友である小さいムサシがその伝書鳩を外に連れ出すというシーンが創作された。この軍国少年は、広島の被爆者である新井俊一郎氏がモデル。新井氏の1945年(当時13歳)の日記によく登場するヒーローの宮本武蔵と、新井氏の現在の被爆体験伝承者である宮本憲久氏の苗字が同じであることをきっかけとし、このムサシのキャラクターが出来上がった。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 16 : The Fall/ 墜落 (In Marukawa Collection) 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 世界初の原子爆弾を運ぶことになるB-29エノラ・ゲイの格納庫を描いた作品。格納庫は今もウェンドーバー・エアフィールド博物館に保存されており、一般公開されている。ギリシャ神話の「イカロスの翼」は、人間の技術への過信を戒めた物語だが、絵画の歴史でもたくさんの画家に描かれてきた主題であり、作家もここでその主題を組み合わせている。軍のメッセンジャーという戦争の道具になっていた鳩を逃そうと共にケージの外に飛び立った軍国少年だったが、従者のムサシがエノラ・ゲイの格納庫の屋根に墜落してしまう。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 17 : The Encounter / 遭遇 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 墜落したムサシは、格納庫の屋根を突き破り、エノラ・ゲイの乗組員たちが話し合っている部屋に落ちた。物語としても驚きの遭遇シーンとして描いているが、アメリカ軍がどのように日本を見ていたか象徴しようと描いた。彼らにとって日本は小さくても何をするかわからない異質なものだった。この格納庫の中にも作者は見学しに入っており、格納庫の中にあった原爆投下作戦の責任者でもありエノラゲイの機長でもあるPaul Tibbetsの部屋を見てこれを描いた。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 18 : Enola / エノラ 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) ウェンドーバー陸軍空軍基地では、B-29爆撃機を含む21の爆撃機グループと1,000人以上の搭乗員が訓練をしていた。原子爆弾を落とすために作られた第509混成部隊も訓練場としてここを選んだ。ウェンドーバーのサイトは、その孤立性、セキュリティの能力、トレーニングに利用できる広いオープンスペースのため最適であった。広島に世界初の原子爆弾を落とし、長崎にも気象観測機としてボックスカーに同行し、2個目の原爆投下にも立ち会ったエノラ・ゲイもそこにいた。蔦谷はバージニア州のスティーブンF.ウドバー・ハジー・センターで見た本物のエノラ・ゲイを元にエノラの機体を描いた。B-29は、第二次世界大戦に製造された最大の航空機である。合計3,970機作られ、65機は原子爆弾投下用にプロペラ、エンジンなどが改造され、装甲と砲塔が取り外された。設計と製造コストは当時の金額で30億ドル。マンハッタン計画の費用をはるかに超えたものだった。軍産複合体時代の初期である。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 19 : Bombardier/ 爆撃手 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 核兵器を落とすにあたって、爆撃手は当時の金額で15億ドルを費やして開発されたノルデン爆撃照準器を使いこなすための訓練を積んでいた。原爆の歴史において爆撃手が注目されることはあまりない。けれどもマンハッタン計画は、物理学者達によって原爆を落とす前から核兵器の開発競争の警告が出されており、計画通りの場所を正確に狙うということが非常に重要であった。どこにどのように落ちたか、どの範囲でどれだけの人間にどのような殺傷能力を発揮したかなど、戦後すぐに開始した日米合同での調査でも重要な点であった。このコックピット内部は、国立アメリカ空軍博物館がCockpit360という会社と共同制作したB29の機内を3Dシュミレーションで見渡せるウェブサイトを参照にして描かれた。画面の中には、当時莫大な資金で開発されたノルデン爆撃照準器も見える。これは、機械的に動くカメラ目線を使った現代的視点であり、エノラ・ゲイを擬人化している作者の設定にぴったりでもあった。またこのコックピットにも蜘蛛の足が取り込まれている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 20 : In the Stomach / 腹の中 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) ムサシはバッタ軍人と遭遇したあと、なんと食べられてしまい、バッタ軍人の胃の中を彷徨っていた。同時に、「腹の中を探る」という日本の言い回しもかけており、バッタ軍が何を考えているか探っているシーンでもある。ムサシのモデルとなった被爆証言伝承者の宮本憲久さんは、原爆ドームのすぐ横で戦後産声を上げた。蔦谷は2020年に宮本さんにインタビューをして以来、被爆者の新井俊一郎さんの状況も含め、メールやズームでのやりとりを続けてきた。癌や病、そして身体への不安と常に向き合ってきた被爆者と被爆2世、3世の思いも込めている。宮本憲久さんは、2022年8月15日にがんのため他界した。享年75歳だった。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 21 : Petition / 嘆願書 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 藤高晃右氏蔵 1945年7人の科学者たちによって作られたフランクレポートは、戦後の核競争を予測して核管理体制の重要性と、日本に無警告に原爆を投下することへの反対意見として書かれた。フランクレポートの正式タイトルは「政治的・社会的問題に関する委員会報告」。レオ・シラード(右)が最初の草稿を書き、英語に長けたユージン・ラビノウィッチ(中央)が文書にした。 ジェイムス・フランク(左)がこの報告書を暫定委員会の委員長スティムソン長官のオフィスへと直接届けた。彼らの背後に見えるキノコ雲は、彼らが事前に核兵器の影響を予測していたというイメージを描くために、広島の原爆の写真がモチーフとなっている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 22 : Council of Despair / 絶望会議 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) マンハッタン計画では、戦後の核兵器の研究、開発、統制や必要な法律に関する調査と勧告を行うために、暫定委員会が設立されていた。暫定委員会は、1945年5月9日から8回開催された。マンハッタン計画のリーダーであるアーサー・コンプトン、アーネスト・ローレンス、ロバート・オッペンハイマー、エンリコ・フェルミで構成される科学顧問団も設立した。彼らは、フランクレポートを却下し、できるだけ早く日本に対して原子爆弾を使用すること、労働者の家に囲まれた戦争工場に落とすこと、事前の警告なしに使用すること、を決めた。暫定委員会はクモの上に描かれ、そしてその下のクモの糸に絡まっているのは、フランクレポートを書いたレオ・シラードらである。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 23 : Dream Gudget / ドリームガジェット 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) アメリカは、1945年7月16日爆縮型プルトニウム装置による世界初核爆発実験トリニティ実験を成功させた。この装置のことを、機密が漏れないように、婉曲表現でコードネーム「ガジェット(機械装置)」と呼んだ。トリニティ実験に関しては写真も多く残っているが、ニューメキシコ州のアルバカーキにある国立原子力博物館の屋外展示場に、この装置が上がっているところを実物大で再現しているものがあり、作家はそれを撮影した上で、現存する写真などの記録も参照にしこの絵を描いた。上の方に蜘蛛の足が見える。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 24 : Ruling Matter / 支配問題 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 個人蔵 ポツダム会談、宣言/ Potsdam conference, Declaration についてのシーン。 1945年7月17日から8月2日にかけてドイツのポツダムで作られた宣言は、天皇についての項目が消されており、大日本帝国政府はコメントを出さなかった。米国はこれを拒否と判断し、そのまま戦争は延長したが、実はこれは原爆投下の準備をしていたアメリカが意図したものだった。ドローイング中のアメリカ大統領の頭がトリニティの世界初のキノコ雲になっている。キノコ雲からはクモの足が出ており、その上にイギリスのチャーチル首相とソ連のスターリン首相が座っている。肩には、物理学者と軍人がアメリカ大統領のキノコ雲頭を見ている。彼の掌には大日本帝国軍(中央に天皇、東條英機政権)、その足元にはたくさんの血だらけの死体が見える。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 25 : Shadow Meeting /シャドウミーティング 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) ロスアラモスには、物理学者のスパイが3人いた。その中の有名なクラウス・フックス(植物) とソ連のエージェンシー(蚤)との密会。ソ連はこのスパイたちの情報も得て、冷戦時代の原爆開発競争においてすぐにアメリカに追いついた。この47枚のドローイングで描かれる歴史物語の中で唯一の作家の作り上げたキャラクターであり、時間や空間を史実に関係なく移動する役割を持つムサシが、後部座席に転がったイモの影から、この状況を見ている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 26 : Unforeseen Future /見えない未来 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 広島に原爆を落としたエノラ・ゲイ、長崎に落としたボックスカーを含むB−29の基地であったマリアナ諸島ティニアン島は、第一次世界大戦後に大日本帝国の統治領となっていた。戦中隠れて偵察を続け、米軍の残飯のありかを毎日確認して生き延びていた大日本帝国の残兵のシーン。「エノラ・ゲイ」(ゴードン・トマス、マックス・モーガン=ウィッツ著)で記録されている今井喜三上曹の話をモデルにしている。残兵にとって最も重要なことはアメノ国の兵士らが毎日捨てる場所を変える残飯の場所を把握することであった。彼は兵士たちが夜 屋外で映画を見始めるのを待ち台所に忍び込みゴミ箱を漁った。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 27 : Loading / 装着 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 世界初の核兵器リトルボーイは、トリニティ実験で試された爆縮型とは違うタイプの砲弾型(Gun-Type)だった。リトルボーイの記録写真はたくさんあるが、作家はアトミック・ヘリテージ財団のウェブサイトにあった記録写真の中から、印象的な構図写真を選び、ほぼ忠実にこの作品を描いている。この元になった写真では、リトルボーイの大きさ、また人の手によって搭載されたという現場の状況が、非常に強い現実味を持って感じられる。また不安定な画面のバランス感と爆撃手(トマス・フェレビー氏)の視線が、この後に起きる暗い未来を無言で示唆しているようでもある。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 28 : The Deep Blue Sky / 真っ青な空 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 広島、原爆投下直前の暑くなる前の午前中の仕事、繁華街の家を解体する作業である建物疎開の様子。学徒動員令が発令され、働いていた28校6,300人の学生が原爆投下で殺されたが原爆投下で全滅した。広島で亡くなったのはほとんどが女、老人と子供たち。若い男性はほとんど戦争にかり出され、その日広島にいなかった。8月6日当日は晴天。原爆投下は、爆撃手がノルデン爆撃照準器を使って、高空から投下場所を目で確かめてからスイッチを押し実行する必要があったので、雲があると任務は遂行できない。多くの被爆者があの日は真っ青な空だったと証言している。この日広島は晴天で原爆投下日和だったというわけである。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 29 : PIKADON/ ピカドン 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 原爆が爆発した時の閃光と衝撃波を合わせて、人々は原爆のことを「ピカドン」と呼んだ。ピカドンとタイトルされた絵はたくさん描かれてきたので、今まで描かれてないピカドンの瞬間をどう描くか考え抜いてこの絵を作った。原爆を遥か上空で落とした後すぐに急旋回し市から約5マイル以上遠ざかっていたエノラゲイの機内にもその強烈な閃光が入ってきており、乗員は皆圧倒されたと記録されている。衝撃波も2回襲い、日本軍の反撃にあったと思ったそうだ。原爆を落とした側が見たピカドンは描かれていないと思い、ノルデン爆撃照準器からピカが入るシーンを描くアイデアに行き着いた。蔦谷自身描いた後気づいて驚いたが、その光はまるで大日本帝国の軍旗として使われていた旭日旗のようである。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 30 : Walking in Hell /地獄を歩く 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 原爆投下当日の広島の爆心地付近の様子を写した写真は5枚しか残されていない。現在では確認できない原爆投下直後の風景を、作家は新井俊一郎氏のインタビュー、被爆者の証言、市民が描いた原爆の絵を参考に描いた。「飛び出た目玉を持って歩く人」という証言は多く聞かれるが、その様子を描いた絵はない。描かれて来なかったイメージを描くことが蔦谷の挑戦である。顔に木が刺さった人、黒焦げの死体、腕の皮を指の先にぶら下げたまま歩く人々、大火傷などのイメージもこのドローイングには描かれている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 31 : Don’t Go / いかないで 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 原爆投下後、生存者は道端で夜を過ごした。ほとんどの重傷者はその場で死亡したが、息のある全身焼け爛れた人々の多くが広島港から臨時救護所となった似島に運び込まれた。作家は、1945年8月7日に広島湾似島検疫所で尾糠政美氏が撮影した写真の部分を忠実に描き、写真には記録されていない「蛆がたくさんわいた」という証言を描くために、腕の部分に想像で蛆を描き加えた。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 32 : Black Rain/ 黒い雨 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 黒い雨とは、原爆投下後に降る放射性物質を含んだ黒い大粒の雨で、放射性下降物(フォールアウト)である。広島でも長崎でも熱線や爆風が届かなった地域にまでこの雨が広く降り、深刻な放射能汚染をもたらした。この雨に晒された者は、当初から脱毛、歯茎からの出血、血便や吐血など急性放射線障害に苦しんだ。この雨が有害だとは気づかず、喉の渇きから口を大きく開けて降ってくる雨水を直接飲んだ者もいた。政府は長年その健康被害を大雨が降った地域にのみ限定してきたが、原爆投下75年後の2020年に、広島の黒い雨訴訟で原告全員を被爆者と認める判決が下された。この判決で裁判官は、「黒い雨が混じった水を飲み、付着した食べ物を食べたことなどによる内部被曝の可能性を検討する必要がある。」と指摘した。この裁判で放射性下降物による内部被曝の被害者を被爆者と認めたということは、今後原発事故や核実験・核製造プロセスで被爆した人々への補償の再検討にもつながる可能性が大きく、救済の枠組みを大きく広げた歴史的判決となった。しかし続く長崎での訴訟では原告の言い分は認められず、放射能の身体への影響を問うのに、今後も重要な論点である。作家は広島平和記念資料館で見た服に染み込んだ黒い雨の跡を参考に描いた。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 33 : Plutonium Type / プルトニウム型 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 1945年8月9日に長崎に落とされた2個目のプルトニウムを使った爆縮型原子爆弾のファットマン。このタイプが冷戦時代にもずっと製造されていた。ウランを材料とするガンタイプで広島に落としたリトルボーイとは違うタイプで、この2つ目を落として実験する必要がアメリカ側にあったのではないかという説があるが、作家はこの問題に焦点を当てたドローイングを制作した。アメリカは日本が降伏する前にファットマンを投下する必要があった。ティニアン島で、B-29ボックスカーに搭載する直前の写真(1945年8月8日アメリカ空軍撮影)をもとに描いた。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 34 : Melancholia / 沈鬱 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 個人蔵 戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、プレスコードと言われる規則を作り、新聞、雑誌などすべてに報道規制を行った。GHQ批判はもちろん、原爆に関する記事や個人的な手紙まで検閲された。医療研究も禁止され、被爆者たちが個人的に話をするのも監視されていたようだ。これが1952年まで7年間続く。大きな目はGH Qのマッカーサー。背中を丸めて調査をするのは、GHQから日本政府に調査協力が求められ、結成された日米合同調査団である原爆障害調査委員会に参加した日本の研究者が爆心地島病院中央部南側で地中の残留放射能を測定している様子。 この作品を制作する上で、作家は科学が発達する前の寓話的なシンボルで埋め尽くされたデューラーの「メランコリア(憂鬱)」の構図を模している。背景の瓦礫の中に長崎の浦上教会建築のパーツ、鳥居、広島の原爆ドームなどが見える。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 35 : Investigating Effect / 影響の調査 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 1945年9月19日新見達郎氏が記録した写真を忠実に描き写した。原爆投下後約1ヶ月後の状況である。大野陸軍病院で患者を診察する米国マンハッタン管区調査団の軍医アシュレイ・オーターソン(左)と東京帝国大学の都築正男博士(中央)が一緒に被爆者達を診断して廻っている。日本の医者とアメリカの医者が戦後すぐに一緒に働いていることに違和感を感じ、蔦谷はこのイメージを選んだ。国籍は関係なく医者はハエで表現する手法を取っているが、そのことによって彼らが一体何を見て何を考えているのか、その奇妙さと不可解さを強調した。占領軍の下では、原爆と無差別爆撃の被害に関する全ての情報の公開が禁じられていた。ラジオ 新聞 雑誌 本は厳しく検閲されていたし、医者たちの研究も許されなかった。被爆者通しでの会話さえ見張られていたという証言がある。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 36 : Classified Specimens / 機密標本たち 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 1946年、アメリカ大統領令にしたがって、広島、長崎にできたアメリカのリサーチ機関ABCC(原爆障害調査委員会1947年設立、現在も放射線影響研究所として機能している)により被爆者の体の影響の調査研究が行われた。全ての標本と調査報告は、極秘ですべてアメリカへと輸送され、アメリカの軍事核戦略のために使われた。被爆者たちの治療に生かされることはなかった。放射線の影響を調べるための寿命調査(LSS)を1950年に開始、約12万人の対象者を現在まで追跡調査している。このLSSほど大規模で長期的な調査が他にないため、被爆の影響を調べるときの世界的標準とされているが、内部被曝の影響は一切考慮されていない研究であり、黒い雨や、原子力発電事故や第二次世界大戦後の核兵器実験による健康被害では、この研究は正確ではない形で利用されている。特徴的なかまぼこ型建築は、作家が2019年の取材で撮影した写真を元に描いている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 37 : 210,000 Silenced / 21万の静寂 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 1945年の12月31日までの原爆による広島長崎での死亡者数は推定21万人。現在も確定はされていない。被爆者たちがたくさんの証言を残しており、一人一人驚くような光景を記述している。作家は、それらの証言全てを描き残したいと考えたが、この現代にまで続く歴史を描くシリーズでの実現は困難であるので、できるだけ多くの状況を含んだ1枚を描こうとこのドローイングを制作した。多くの人々が逃げ惑い、母を呼び、水を求め、動けなくなった。先生は生徒たちを守るようにして覆い被さり亡くなった。彼らが登っている山は、顔が丸く腫れ皮がむけた赤ん坊とそれを抱いていた母親の写真をもとしたもので、山端庸介が被爆翌日に長崎で撮影し、丸木夫妻も「原爆の図」の参考にしていた。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 38 : Uranium Fever / ウランの熱狂 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 戦後のアメリカでは、ウラン版ゴールドラッシュが始まった。1955年までの2年間で、政府はウランの発見に200万ドル以上の報奨金を支払った。このドローイングは、双子のアメリカ白人(狐)がウラン鉱山をワシントン州のスポケーン族(鮭)の土地に見つけたシーン。彼らはミッドナイト鉱山を1955年に開坑、スポケーン族のほとんどをウラン鉱夫として雇った。約27年間で約300万トンのウラン鉱石が採掘された。2000年にようやくスーパーファンドサイト(有害物質除去基金:過去の土壌汚染に関わる企業が負担する浄化費用基金)として有害物質除去作業が始まったが、労働者達は放射線の危険性を一切知らされてなかったし、このエリアの水や土も汚染されており、作業員の多くが癌を発症し亡くなった。 この話を作家に語り伝えたスポケーン族の中心的アクティビスト、デブ・アブラハムソンは、作家が取材で現地を訪ねた2019年にすでに癌を発症し治療中だったが、作家を二つのウラン鉱山に連れていき、現場の真実を語ってくれた。彼女は、たくさんの人々に惜しまれつつ、2021年1月1日に癌で他界した。享年65歳だった。 後ろに爆発しているのはオペレーション・クロスロード(1946年ビキニ環礁)のベーカー実験のキノコ雲。水深27mの海中で爆発。トリニティ、広島長崎、同じくクロスロード作戦のエイブル実験に続く5番目の核実験。クロスロードは放射性下降物による被曝量や除染効果を測定するための実験だった。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 39 : Uninformed Hazard / 知らされなかった危険 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) ワシントン州のアメリカ先住民スポケーン族のウラン鉱山労働者とその家族の生活の風景。先住民作業員はウランが放射性物質で危険物質だということを知らされなかったため、マスクも手袋もせずに鉱山で働き、汚染された作業着を着たまま酒場に立ち寄ったり、自宅で家人に汚染された作業着を渡し洗濯していた。家の人が先に亡くなったというケースもあった。貧乏だった先住民族にとって鉱山での仕事は歓迎すべきもので、ウランを幸運の石として自宅に持ち帰り枕元に置く人もいた。机上にあるのは作者が2019年に現地でインタビューしたスポケーン族の中心的アクティビスト、デブ・アブラハムソン氏の家で見せてもらった伝統的な薬草類。後ろの壁には、作家が彼女と彼女の娘であるトゥワ=ラ・アブラハムソン・スワン氏との会話で聞いたカヌーに乗る人々や川と生きる人々の話、彼らの居留地を案内してもらい立ち寄った亀の湖とその民話(巨大な亀を捕まえようとした人間に黒い馬が波と共に襲ってくる話)を描いた絵が貼ってある。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 40 : Abandoned / 放置 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) スポケーン族の居留地では50年代に二つのウラン鉱山が発見され、約27年間で約300万トンもののウラン鉱石が採掘された。ミッドナイト鉱山は2000年に有害物質除去基金対象地となり、その17年後の2017年にようやく除染作業が始まった。もう一つのシャーウッド鉱山は現在も柵もないままに人々が出入りできる状態で放置されているが、シャーウッドの建造物の資材はさまざまな業者や人々によって解体され広く分散されたという。スポケーン族は何百人もの仲間を癌で失い、デブ・アブラハムソン氏もまた、作家がインタビュ―した2019年にすでに癌を発症し治療中だった。彼女は作家を二つのウラン鉱山に連れていき、現場の真実を語ってくれたが、2021年1月1日癌で他界した(享年66歳)。後ろに見えるのは作家が彼女と行くことができたミッドナイト鉱山の入り口のゲートで、スポケーン族の民話に出てくる亀の湖の主の大亀が入っていくところが描かれている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 41 : Downwind / 風下 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) ハンフォード・サイトのすぐ横で生まれ育ったトム・バイリー氏がモデルになっている作品。牛や羊の死体が散らばる平原で、アメリカ政府の公開した機密文書や新聞記事などを集めた分厚いファイルを持ち座っている羊男がバイリー氏である。周囲には、奇形の頭のない羊たちが走り回っている。この地方では、1945年からずっと汚染されてきた土地で育てられた牛の乳が重要な食の一つであり、家畜も人間も奇形児が生まれたり癌で亡くなったりするのは日常だったという。1949年の「グリーンラン」はその中でも大規模な放射性物質の放出実験であった。この実験で米国政府は、ソ連の核兵器の現状を把握するため、ソ連と同じ短い冷却日数でウラン燃料棒をプルトニウム工場に移動し、大量の放射性物質を放出させた。周辺の住民はこの実験予定を知らされず、多くの動物と人々が放射能汚染の犠牲となった。この最高機密実験の詳細が明かされたのは1986年であった。後年、バイリー氏の家族も全員癌と診断された。バイリー氏自身も多くの障害を持って生まれ、現在パーキンソン病を患っている。彼を含め、この風下の住民たちは、賠償金の裁判を起こしているが、米国政府から放射能汚染の影響を認定されていない。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 42 : Vapors / 蒸気 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) ハンフォード・サイトの内部告発者の話を元に描かれた作品。ハンフォード・サイトは9台の原子炉廃止後、有害物質除去基金対象地に指定され、1940年代50年代に作られた5600万ガロンの核廃棄物用177個の地下タンクをガラスで包む作業をしているが、作業中に蒸気が出るという事故が何度も起きている。事故当時、労働者たちはマスクをしていないことがあったが、それらの事故やその死亡者、また後遺症に苦しむ労働者たちの健康状態は隠されてきた。原子力ムラの実態は、勇気あるジャーナリストや歴史家たちによっても少しづつ暴かれている。作家はとアクティビスト・グループ“ハンフォード・チャレンジ”のディレクター、トム・カーペンター氏を通して元ワーカーであるエイブ・ガルザ氏とガルザ夫人、ベルトラ・バーガリン氏にインタビューすることで事実の理解を深めることができた。ハンフォード・サイトには癌センターが多数あるが、記録が改竄されることを恐れて現地の住民はそこに行きたがらない。そして、他州の信用のできる医者にわざわざ診療してもらう。原子力施設で働く人たちは、元々一般の人よりも浴びていい放射線の量も化学物質の量も多く設定され、それでもそれらの量を正しく測定するのが難しいという根本的な問題も指摘されている。彼らの体の不調には、呼吸障害、記憶障害、バランス障害、舌 口 咽頭 結腸 膵臓の癌、特に肺と骨の癌が多く見られる。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 43 : Propaganda Bus Tour/プロパガンダバスツアー 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) ワシントン州には、ハンフォード・サイトが主催している世界最初の大規模原子炉であるB原子炉を見学するバスツアーがあり、作家も2020年にこのツアーに参加した。ハンフォード・サイトで作られてきたプルトニウムはファットマンから冷戦時代の水爆実験にも使われてきた。物理学者だと自己紹介をしたツアーガイドは、このエリアの死亡率や発癌率はアメリカの平均よりも低いと、作家がインタビューしたハンフォード・サイトの元ワーカーの話と反対のことを公言し、自分の健康状態も自慢していた。ハンフォードでは元ワーカーたちの死亡や後遺症を招いた事故などは隠蔽されている。このエリアの住民は、市内の病院では記録が残らないので他州の信頼できる医者に行く者もいる。ドローイングでは、窓の外でクモの足が大暴れ、 バスに乗った(乗せられた)乗客らは物理学者(植物)、医者(ハエ)、軍人(バッタ)、水爆実験の被爆者マーシャル諸島の人々(カメ)、ウラン鉱山経営者(キツネ)、スポケーン族(サケ)、ハンフォード・サイトの現代の除染作業のワーカーたち(防護作業服を着ている)がいる。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 42 : Oleander / 夾竹桃 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 夾竹桃は、草木が生えるまでに数十年かかると言われた原爆投下後の広島の地で、いち早く花を咲かせたことで、広島の復興のシンボルとなった。蔦谷は、この花が、インド原産の外来種でやせ地でも育つ強い植物で、強い毒性を持っている故にヒンドゥー教では魔除けや穢れを祓う宗教的意義も持っていることに興味を持ち、三途の川をモノともせず渡ろうとする鳥の足がついた神話に出てくる怪物のような夾竹桃の絵が描き上がった。足元にはプロパガンダツアーのツアーガイドが腰を抜かしている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 45 : Survivor’s Guilt / サバイバーズギルト 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 戦争や虐殺、大災害で生き残った人々が、自分だけ生き残ってしまったという罪悪感を持つことを、心理学用語でサバイバーズギルトと言う。生き延びた被爆者や運良く8月6日にそこにいなかった人々が、戦後ずっと原爆について語らなかった理由は、様々にあるが、このサバイバーズギルトもその一つだった。新井俊一郎さんがモデルの当時中学一年生だった軍国少年も少し離れたところで農村動員として働いていたために、爆発当時は広島市内になかった。ただ、当日にちょうど帰宅許可が出ており広島市内に入った入市被爆者だった。中学校が違ったために亡くなった親友がいて、彼もこの心理を抱えていた。彼は歳をとってから当時のことを書き残そうと生き残った者たちで文集を作ったところ、亡くなった親友の兄からあなたたちも苦しんだのですね、と電話をもらい、生きてよかったとやっと思えたそうだ。新井俊一郎さんは、2022年現在90歳で被爆者として証言する活動を続け、未来を懸念している。この生存者のポーズは、ヒエロニムス・ボスの「聖人クリストフォロス」からとっている。指に壊れた天秤を引っ掛け、バックパックヌーク(スーツケース核兵器、ミニ核兵器とも呼ぶ)という1950年代から60年台にかけて米国とソ連で開発された携帯できるほど小型の核兵器を背負っている。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 46 : Profane / 冒涜 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) 右から政治家(ゴキブリ)、IAEA(スズメバチ)、軍人(バッタ)、武器メーカー(軍隊アリ)、物理学者(植物)、医者(ハエ)、マスメディア(蚊)。テーブルの上で相撲の土俵を思わせる核弾頭ゲームで賭け事をしている。円錐形のオブジェは核弾頭、ボールの中にあるのはプルトニウムか人々の命か。蜘蛛の足によってこじ開けるように開かれ、奥の部屋を覗くような構図において、作家はマルセル・デュシャンの遺作《1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ》を意識している。現在世界には核弾頭は、13,130発ある。うち、ロシアが6,260発、アメリカが5,550発、中国350発、フランス290発、イギリス、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮と続く。 Daily Drawings: Spider's Thread Day 47 : Vision/ ビジョン 2020 墨汁、鉛筆、紙 14 x 11 in (35.6 x 27.9 cm) テーブル下に隠された被曝した体から世界中の被爆者たちが一つずつプルトニウムのような命のようなものを抱えて脱出し、翼とガスマスクをつけた若手活動家たちがテーブルの下に飛び込んでいく。被爆した大きな体の胸元には、福島に積み上げられた黒いピラミッド、右下にはハンフォードサイト地下に蓄積されている核廃棄物のタンクたち。若手の活動家が増えるには、核軍縮などの専門家が増えるには、市民の意識が高まるには、核廃絶の道はどのようにしたら開かれていくのか、祈る思いで最後の一枚を描いた。 |